敦−山月記・名人伝−
2005年9月14日「敦−山月記・名人伝−」
世田谷パブリックシアター 14時開演 I列4番
まるで漆を思わせる舞台。その繊細な漆黒と、ダイナミックな舞台機構。
「山月記」は中島敦の文体をそのまま立体化した印象。李徴は詩人の道を究められず虎となってしまう男。万作師は、自嘲癖のある李徴にかなり枯れた味わいでアプローチ。李徴は野心と己の才能に溺れる若者のイメージだったのだけど、これもありかな。
物語は敦をコロス仕立てにして進行。「あっち側とこっち側」という舞台使い、照明アイディア、そして兎を喰らう虎の、ドライな演出などなど・・・かなりニナガワ風味。影響受けてるんでしょうかね、萬斎さん。
「名人伝」は「有り得ない」修行の結果、射の極意を得る紀昌の物語。思いを遂げられない「山月記」の李徴とは対象的な存在。
こちらは軽やかな演出。ちょっと軽すぎるか。でも十分楽しめましたが。
この二編を通して「人間とは何なのか」ということに焦点を当てすぎて、妙に余白のない印象になったのが残念。
萬斎さん含む4人のコロスは敦スタイル。「背広」での所作が妙にかっこ悪いのは仕方ないか・・・。皆さん重心が低いからお尻が下がってしまうのですね。下半身が鈍重に見えます。病弱で夭逝した敦の印象とは大きく距離がある感じ。しかも揃いも揃ってそれですからね・・・。
衣装さんにはそこをフォローするもう一工夫が欲しかった。(特に紀昌の衣装。個人的に好きじゃない。)。あの装置、役者に相応しい衣装だったらもっと好印象だったと思う・・・勿体無い。そもそも作品中の時代背景に縛られすぎているのでは。
衣装でここまでマイナスに思うことはめずらしいので突っ込んで書いてみました。
それにしても月崎さん、とてもよかった。狂言ではたかのんみたいな華には欠けるかもしれないけど、この舞台では最も安定感あり。
世田谷パブリックシアター 14時開演 I列4番
まるで漆を思わせる舞台。その繊細な漆黒と、ダイナミックな舞台機構。
「山月記」は中島敦の文体をそのまま立体化した印象。李徴は詩人の道を究められず虎となってしまう男。万作師は、自嘲癖のある李徴にかなり枯れた味わいでアプローチ。李徴は野心と己の才能に溺れる若者のイメージだったのだけど、これもありかな。
物語は敦をコロス仕立てにして進行。「あっち側とこっち側」という舞台使い、照明アイディア、そして兎を喰らう虎の、ドライな演出などなど・・・かなりニナガワ風味。影響受けてるんでしょうかね、萬斎さん。
「名人伝」は「有り得ない」修行の結果、射の極意を得る紀昌の物語。思いを遂げられない「山月記」の李徴とは対象的な存在。
こちらは軽やかな演出。ちょっと軽すぎるか。でも十分楽しめましたが。
この二編を通して「人間とは何なのか」ということに焦点を当てすぎて、妙に余白のない印象になったのが残念。
萬斎さん含む4人のコロスは敦スタイル。「背広」での所作が妙にかっこ悪いのは仕方ないか・・・。皆さん重心が低いからお尻が下がってしまうのですね。下半身が鈍重に見えます。病弱で夭逝した敦の印象とは大きく距離がある感じ。しかも揃いも揃ってそれですからね・・・。
衣装さんにはそこをフォローするもう一工夫が欲しかった。(特に紀昌の衣装。個人的に好きじゃない。)。あの装置、役者に相応しい衣装だったらもっと好印象だったと思う・・・勿体無い。そもそも作品中の時代背景に縛られすぎているのでは。
衣装でここまでマイナスに思うことはめずらしいので突っ込んで書いてみました。
それにしても月崎さん、とてもよかった。狂言ではたかのんみたいな華には欠けるかもしれないけど、この舞台では最も安定感あり。
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